初めまして:自己紹介とアラサー女子がプログラミングスクールに通った理由
初めましてこんにちは、川崎市在住、駆け出しデザイナー&&エンジニア目指して修行中の、タヌキ…ではなく、あずみといいます。どうぞよろしくお願いします。
駆け出し、といっても本当に駆け出しで、まだプログラミングを始めて2ヶ月半。デザインの仕事も始めて半年ほどです。
それまでは若者就労支援のNPOで、若者に基礎的なITスキル講習を実施したり、若者就労支援でITスキル講習を実施する仲間(=団体)を増やしたりしていました。
あとは、美大出身で、小さな組織だったこともあり、社内デザイナー、複業のデザイナーなんか(illustrator, photoshopは一通り使える)もやっていました。
そんな私、実は30代も半ばが近いのですが、この春、思い立って仕事を辞め、今をときめくプログラミングスクールに申し込みました。
先日無事卒業し、今はフロントエンドエンジニアとしての転職を目指しています。
…ですが。。。。。
「30代半ば」「仕事を辞め」のあたりで、
「あー。。。、、、」
と思われた方もいるかもしれません。ご察しの通り、未経験からエンジニアへの転職には、ちょっと遅い、いや、遅すぎるぐらいのチャレンジになります。
本当〜に、もっと早く始めれば良かった…というのは、在学中も今でもとてもとても感じていますので、ここではポジティブに、自己紹介とこれからの話に努めたいと思います。
もし、お時間があれば、なぜ、いい年した私が突然エンジニアになろうと思ったのか。そしてなぜプログラミングスクールに通ったのか、しばし自分語りにお付き合いくださいませ。
また、私は普段デザイナー兼フロントエンドエンジニアとしてWEBサイト制作のお仕事も請け負っていますので、どんな人なのか、お仕事への向き合い方など、人となりを感じていただけたら嬉しいです(^o^)
前置きが長くなりましたが、ここから自己紹介に入ります、どうぞよろしくお願い致します。
関心のはじめは、若者支援
私が明確にIT業界に興味を持ったのは、若者就労支援の仕事をしていたときです。それまでもコンピューターは大好きで、Illustrator や Photoshopを勉強したり、WEBデザインの職業訓練校に通ったりもしていました。ですが「エンジニアになりたい!」と明確に思ったのは、ここでの経験が土台になっています。
私の働いていたNPOは、いわゆる「ニート」「ひきこもり」などといわれる人たちの就労を支援する機関で、当時は(いまでもですが)IT企業へ若者を送り出すことに注力している団体でした。
その中で、私はある外資系IT企業との連携プロジェクトの担当をしていました。そして、多くのNPOやIT系中小企業、そしてプロジェクトオーナーの外資系企業と連携をしながら(短い言葉で言うと、プロマネをしながら)、年間数千人の若者に基礎的・基本的なITスキル講習を届けていました。
▷プロジェクトの概要はこちら
(2018年3月末に厚労省事業に引き継がれる形で終了)
▷プロジェクトの学術的考察:ケーススタディ「企業CSR×NPO」の協働が「政策」になるまで
スポンサーとなっている外資系企業のコーポレートミッションは「to empower every person and every organization on the planet to achieve more.(地球上の全ての人と個人がより多くのことを達成できるようにする)」。
その理念のもと、「働くこと」に何らかの困難を抱えている、20代〜30代の若者達の未来を開くのが私たちの仕事でした。
中には下記のような素晴らしい事例も出てきて、誰かの人生を幸せにできる仕事内容に、大変やりがいを感じて働いていました。
▷事例紹介:高卒後10年間のフリーター生活を経て念願のプログラマへ
また、「人生100年時代に、いくつになってもチャレンジし続けられる、人生の可能性を広げられ続ける分野がITなのだ」という外資系企業の担当の方の熱い言葉に私も胸を打たれ、
「ITって素晴らしい」「人生の可能性が広がる」「ぜひITスキル講習を多くの人に勧めたい」と、
とITの持つ価値にだんだんと心酔する様になっていったのです。
トリガーは、病気
…そんな私でしたが、ある時、夏の暑い日になると、起き上がれないほどの頭痛と嘔吐を繰り返すようになってしまいました。
その後も、同様の症状が継続。脱水症状を起こしたり入院したり…、仕事も休みがちになりました。
診断名は、偏頭痛。
それまで知らなかったのですが、日光で偏頭痛を起こす人がいるらしく、また頭痛がひどくなると嘔吐をする人もいるようで、私はその両方に合致していました。
初めは1時間程度外に出ると発症していた偏頭痛も、段々と外に出られる時間が減っていき、時間帯にもよりますが、昼間は15分程度以上外に出るのが難しくなってしまいました。
さらに困ったことに、そのNPOが駅から徒歩15分の位置に立地していました。そのため、日常の通勤に困難をきたすようになり、退職。それが1年前のことです。
その後は駅徒歩10分の別の会社に勤めつつ、プロマネ経験を生かした業務をしてきました。しかし、やはり若者支援の仕事が大好きだったので、退職をしても元上司から複業&家の中できる仕事をもらって、IT x 若者の支援に関わってはきました。
そのうち段々と症状が悪化。出張や顧客訪問、突発的な外出などを含む業務全般に対応できなくなってきてしまいました。本業でプロマネ、複業で若者支援をしてきたのですが、本業の方が成り立たなくなってきたのです。
いよいよまずい、私どうする??
…と思った時に、思いついたのがIT分野での就職だったのです。
「そうだ、ITには多くの可能性があるじゃないか」
「多くの若者が新しいステップに歩みだしたじゃないか」
過去に新しいステージに歩みだした、多くの若者の存在が、決断を後押ししてくれました。
できることと、大切にしたいこと
ただ、ITにとてもポジティブなイメージがあるからと言うだけでエンジニアになろう、と思ったわけではなく、方向性を変えるにあたっては、自分のできること・できないことをしっかり棚卸ししました。
その結果がこちらになります。
私の場合、働きたい業種についてははっきりしていたので、職種について色々考えてみました。
小さな組織でずっと働いてきたので、「できること」のカバー範囲が比較的広いのが特徴になります。
- 初職は教員なので、人前で喋るのは得意(でも、体を壊しがち)
- 若者支援のNPOに努めていたので、支援経験はあり(でも、心理的に疲れがち)
- 特技は、人と人とを繋ぎながら、事業を作ること(だんだん、健康上困難になってきた)
- そうして、最後に残ったのは…ものつくり系
もともと、美大出身なのでクリエイティブ系の業務は得意でした。また、WEBデザインの職業訓練校に通ったこともあり、その時は成績も良かったので、コンピューターを用いた制作が得意という自覚はありました。
そのため、初めはWEBデザイナーになろうと思いました。しかし、私がWEBデザインを学んだのは5年以上前。知識もアップデートしなければなりませんでした。
どうせアップデートをするなら、いっそのことバックエンドも作れるようになろう。
そう思って通い始めたのが、プログラミングスクールでした。
こうして、今に至ります。学んだこと、学習の成果などはこれから発信して参りますね。
最後に、ごあいさつ
病気になったのは数年前、本当にもっと早く転向すればよかったと後悔することは数限りなしですが、こぼれたミルクを嘆いても仕方ないし、人生の中で一番若いのが今日ですので、できることを精一杯頑張っていこうと思います。
もし、どんな人なのか知りたい、作品を見たい、と思ってくださった方がいましたら、どうぞお気軽にTwitterまでご連絡ください。
ポートフォリオサイトは間もなく準備してまいります。引き続き何卒よろしくお願いいたします^^(次回はもっと短く簡潔に書きます〜)